横浜創英中学校入学式の校長式辞は、次の話が序開きになりました。
「新入生のみなさん、少し緊張していますか。どうぞゆったりしてください。横浜創英の式に型はありませんから。型にこだわると、大人のための式になって、一番大事な君たちの存在がうすれてしまいます。君たちに緊張を強いる「起立・気をつけ・礼」の号令は型の極みですから、創英にはありませんよ。私の話のあと、生徒たちが企画を用意しているようですが、実は私も何をやるのかを知らないのです。企画を考えている中学生たちはとても緊張していて、もしかすると失敗するかもしれません。でも、失敗していいんです。それが生徒を信じるということですから」。
入学式の事前打ち合わせは、生徒が式次第を説明し、教員が質問するスタイル。式当日は、吹奏楽部のお祝いの演奏とともにスタート。生徒が司会。壇上に上がる大人は校長のみ。号令は一切なし。生徒による学校紹介はあたたかい。案内・誘導・受付を指揮するのはボランティア生徒。
生徒会長は二日前、部活動で生じた大きなケガを押して松葉杖で登壇。「この場所に来て良かったって、心から思える日が必ず来ます。今日はその第一歩です。 この特別な日を、どうか大切に胸に刻んでください」
※高校入学式校長式辞一部抜粋
私が高校に入学したのは50年も前のことですが、担任から「君たちの未来は希望にあふれている」と言われても、ピンとこなかったのです。なぜならば未来は自分が築くことであって、他人に「希望ある未来」と言われても困ってしまう。未来は、「どうなるんですか」という他律ではなく、「どうするんですか」という自律の問題です。
15歳の時に自分にこう言い聞かせた。「昨日まではとりあえず終わった。だから過去はもう関係ない。その一方で未来はまだ来ていない。今の自分にあるのは今日だけだ。とりあえず自分の未来に向けて一歩前に踏み出してみようか」って自分に約束をしました。
人生は選択肢の連続だから、これからいろいろな選択肢が出てくると思います。人間どんなに悩んで決めたことでも、決めたこととやめたことの差は大したことはありません。おそらく1センチ程度の差です。大事なことは、迷わずに選択して邁進してみる。邁進して行き止まりにぶつかったら、その時にはじめて失敗と気づいて戻ってくればいい。
大事なことは失敗した時、そこにとどまらず、そこから戻ってくる力を持っているかだ。君たちにはその時間が十分にある。残念ながら64歳の私にはその時間がない。失敗してもいいから、何かに向けて一センチでもいいから踏み出してみる。今日をそういう起点にしてほしいのです。
※中学校入学式校長式辞一部抜粋
安心して失敗をしていいですよ。でも失敗しながらも、一センチの背伸びだけは続けてほしいのです。夢と可能性は違います。夢は遥か彼方にあるけど、可能性は背伸びみたいなものです。一センチ背伸びをすれば届くかもしれない。
夢が叶うかはわからないけど、可能性は必ず叶う。なぜならば可能性には幅があるから。サッカーのプロ選手になりたいという可能性はダメだった。でも、本当にサッカーをやるなら、子どもたちにサッカーを教えたい。クラブチームのコーチになる。可能性の幅の中で可能性を叶えています。
可能性が人に背を向けることはありませんよ。背を向けるのは自分自身です。失敗したからと言って、それは大したことではない。失敗から学んでまた挑戦すればいい。そもそも人生に失敗なんて言葉はありません。失敗したところで止まってしまうから失敗になる。成功するところまで歩き続ければそれは成功になる。
でも無理をしなくていいですよ。目の前に大きな山があって、その山を無理に乗り越えようとするから辛くなる。高い山を登らなくても、右か左に動けばいい。なぜなら山には必ず境い目があるから。右か左に動けば必ず境い目がみつかります。辛い山を無理に登らなくても、境い目からまた背伸びを始めればいいんです。