昨年12月に出された次期学習指導要領改訂に向けての中教審諮問が、「社会と教育において積年の課題であった正解主義と同調圧力から脱却する」と書いたので、この点から入りたいと思います。
現在の学校教育は高度経済成長期の工業化社会を基盤に構築されています。その時に重んじられたのは子どもの規範化と標準化。大量生産を支えるために規範意識を持った標準的な子どもを育てることが学校の役割だった。その役割を果すために、学校では一斉授業が効率的とされ、ひたすら正解を追い求めてきました。
でも、今は成長期が終わった成熟した人間中心の社会であって、そこで求められることはたった一つの正解を探し出す力ではなく、知識技能や経験を総動員して自分の考えを導き出す力。今までは誰かが敷いた線路を歩いてきた人生。これからは線路のない人生を自分の力で築いていかなくてはなりません。
大学入試も大きく変わります。少子化の加速によって入試時期は前倒しされ、推薦による年内入試の入学者比率は近いうちに6割に達するでしょう。受験とか就職という外発的要因で学ぶことの意義は薄れ、心底学びたいという内発的動機で学ぶことで自己実現を図ることが求められます。
多様化の現況の中で、学校は、みんな同じであるべきだという同調主義をかざすことで教育水準を保ってきました。でも、一人一台の端末を前提とすれば、子どもたちは自分の力で情報を選び、学び方を選択することができます。学校が一律に子どもに学び方を指示する役割は終わったのです。これからの学校は、「みんなが同じであるべき場所」から「みんながちがうことに価値を持つ場所」に変わらなくてはなりません。
そのためには、他者の個性や特性を尊重する風土を学校が創っていくことは不可欠になる。「こうあるべきだと」という同調圧力を解消し、人権に優しい環境を作り、何よりも学校は失敗を認める風土でありたい。失敗を認めてくれる風土だからこそ、子どもたちは安心して自分の可能性を探すことができます。
これからの学びは、知識伝達と課題解決の区分を明確にしていく必要がある。新しい教育課程の実施にともなって、本校の授業は「個」と「実学」と「探究」を軸としたものに転換します。あわせて網羅主義から単元主義への移行も共有したところです。一コマ一コマの授業を乗りこえて、単元ごとに育てるべき資質能力を明確にしたうえで、本質的な問立てをし、その問の解に必要な知識理解を連関づけていく。当然、評価システムも、知識・技能は単元テストによる客観的評価で行うが、思考判断表現力はプレゼン・小論文・応用型記述などパフォーマンス評価で行い、パフォーマンス評価に即した探究型の授業を構築していく。
それぞれの教科が、生徒の人生においてどのような意味を持つのか、生徒が社会で高度な意思決定をする際にどのような意味を持つのか。教科の本質を見据えた授業を構築していくことの確認をしたところです。
学校は、多様な子どもたちすべての幸せを願う場所であるはずです。そうであるならば、子どもを束として見ることなく、一人ひとりに丁寧に目を向けるべきだ。その時に見えてくる課題に決して蓋をせず、限られたなかであっても、私たちができうる教育の可能性を常に探るべきだと思うのです。
新しい取り組みに「課題」が生じた時、解決しようとせずにその場所に留まっていれば、その「課題」は糸口の見えない「問題」として残存します。しかし、課題を解決しようと一歩前に踏み出せば、その課題は新たな「独創」に変わります。
子どもが確かな未来を築くためには、子どもの可能性を信じるしかない。でも、それ以上に私たち大人が自分の可能性を信じているか。大人が自分の未来を信じられなくて、子どもの未来を信じられるはずがないと思うのです。子どもの成長を願いながら、私たちも自分の可能性を信じて、一緒に背伸びを続けていけたらと思います。